2015年2月15日日曜日

地質案内その13 下仁田の段丘で・石器探し

下仁田の「遺跡街道」

下仁田にはいつから人が住んでいたのか・・・
           ご先祖様のことって、何となく知りたくなりませんか。

過去のことは人が昔使ったものなどが出てきて、その証拠からわかってくることです。石器、土器、建物や道路のあと・・  証拠は、開発に伴って見つかることが多いでしょう。

下仁田では、畑のまわりを歩いているだけで、そんな証拠が見つかります。びっくりです。
いつの時代のもの?・・・江戸や明治の頃のお茶碗?  それもあるけど、もっと古いものも・・・・。古墳があった頃の土器など?  もっと古い・・・。
縄文時代?・・・・この時代のもの、たくさんありました!! ずいぶん古い時代、と思うけど、なんとこれが畑に転がっている!!
じつは、さらに古い旧石器時代の石器も、下仁田ではみつかっていますが、さすがにこれは、そこらの畑に転がっていたりはしません。

下の図で場所の確認をしてみます。



「上位段丘面」と書かれた地域に、米山(べいさん)という場所があります。ここは、国道354号線から斜面を登った高台になっていて、たどりついた見晴らしのよい平坦地は畑に利用されています。遺跡が多くみられるので「馬山(まやま)遺跡街道」などともよばれたり。(馬山という地名があります)
                                                                                      遺跡の解説パネルもあります。
春先、この畑が耕され、この頃付近を歩くと、畑の土の上に、古代の人たちの石器やら土器やらのかけらが見つかるのです。石器・土器探しの、ベストシーズンというわけです。写真のように、眺めているだけでちゃんと石器や土器のかけらが見つかるのです。
というわけで、2月7日、ジオツアーとしてこの地域の見学会が開かれました。

上の写真だけでは、ただ平らな畑があるだけの場所にしか見えませんので、家並みの見える写真を加えます。家は下の方、「下位段丘面」にたくさんあります。「上位段丘」の遺跡街道には、ネギやコンニャクの畑がみえています。
ネギやコンニャクの植えられた上位段丘。遠く低い位置に見えている家のたくさんある場所が下位段丘

下写真は、この日見つけた遺物。下仁田自然学校の名誉顧問の里見さんはこのあと、手のひらサイズに近い大きさのものを見つけていました。他にも形のいいのを見つけていらした・・きっと目が慣れていらっしゃる・・
小さくても、ほんの2cm、3cmの小さな石器のかけらに刻まれた模様などからも、時代がわかるというのです。
ちなみにこの遺跡は、縄文時代・5,000年ほど前のものになります。
 見つけた石器は、「どこで見つけたか、その場所はどんな場所だったか(畑とか)」、記録しておくことが大切になります。
 みなさんがもし見つけたら、そんなことに気をつかっていただけたら、と思います。

黒曜石の小さなかけらを見つけた人もいました。写真でポリ袋の上に置いてある小さな石がそれです。黒曜石は石器の材料としては最高ですが、この付近では産出しません。信州方面から持ち込まれたものです貴重だったのでしょうね。

ここは「上位段丘面」という地形面になります。この高台の畑ではネギやらコンニャクやらも栽培されています。ところでここには15,000年前の浅間山からの火山灰が降り積もっています。火山灰は風化して「赤土」に。浅間山の火山灰は、畑の土になって下仁田ネギを育て、品質向上に関与しているかもしれません。

  
 というわけで、15,000年前の火山灰がつもっているのだから、この平坦面は、15,000年より前にできたことはまちがいありません。高いところがどうして平らになったのか・・・平らなのは、昔、川が運んだ砂や礫がつもった面だから。川がつくった??・・・・こんな高いところに川??今の川は、ずいぶん下を流れているのに・・・「ほんとう?!どうして?」といいたくなります。 こんな
ちょっと不思議なことを、先人が調べ解き明かしてきたわけです。ちょっとした地形にも、意味や秘密があるわけです。自然の歴史がかかわっています。

ところでこの付近にはたくさんの遺跡があります。左下の地図で、丸で囲われているのが遺跡。丸だらけ。米山は地図の左下にありますね。昔の人は、こんな高台に住んでいたのかなあ・・・

下仁田自然学校では、今年度、下仁田の遺跡に関する小冊子を出版しました。詳しい話を知りたい方は、よんでみてください。1冊250円です。道の駅や下仁田のコンビニに置いてあります。下仁田自然史館、ふるさとセンター、With書店(地元の方にはわかる店の名前)にも。
観察会が終わって、集合場の旧馬山小学校跡地に帰ってきたとき、
「あれ、、、、、、」。
小学校時代の”元花壇”に、こんなものが ・・(下写真)。
 いかにも「石器」!!棒にゆわえたら、漫画に出てくる、[原始人が持つオノ」という感じ・・(大きさがちょっと小さいけど)。花壇の土を運んだとき、一緒にまぎれて運ばれたのでは?どこのものかわからないのが残念ですが。
見つけたのは、今回の案内者のひとり、考古専門家の麻生さん。この石器、もしかして、ずっと以前からここにあったかもしれない・・・誰も気づかなかった?人の「見る目」との差かなあ・・。それぞれに、たくさん何かを見て、見る目を養っていきたいものです。

 

下位段丘をのんびりと  なんだか、のどかな気分でした

多くの家が建っている場所は、下位段丘といって、上位段丘より高さの低い、川に近い段丘面になります。最初にあげた地形区分図の赤丸のうち、「馬山小学校跡地」と書かれた地域です。これも川がつくった地形。「面」ですから、平らな部分があり、それで人が住みついたわけでしょう。この付近の、川に近い場所には畑が残っていて、段丘の地形の雰囲気を感じさせてくれます。畑の縁は石垣が組まれています。写真では充分に伝えられないのですが・・・
ここにはもう、15,000年前の浅間山の火山灰は見られません。昔はこの付近にもつもっていたとしても、みんな削られて川に流されてしまいました。ですから、この地形面は、15,000年よりあとにできたといえます

        少し高くなった部分からは集落がひろがります。
    集落の中には水神様も祭られています。崖から湧き出す水を人々が利用していたわけです。


本当に川がつくった地形??と、思いますよね・・・昔ここは川原だったということになりますから。
  証拠は?

そこで、さらに下におります。最後は鏑川に下りていくわけですが、その途中には、左写真のような丸っこい石ころがたくさんはいった崖が見られます。この「丸っこい」石は、川で運ばれて丸くなった礫、昔の川原の堆積物なのです。

大地が隆起したり、何かの都合で川の浸食が強くなったりして、川がもっと低い所を流れるようになり、川原がtとり残された、ということになります。

なお、鏑川の段丘については、2013年9月24日付け高橋武夫さんの解説でこのブログの
以下のページでも解説しています。


石器等については 少しですが2014年9月4日の以下のページで、解説しています。
https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=481530670025045050#editor/target=post;postID=1200071403339782153;onPublishedMenu=allposts;onClosedMenu=allposts;postNum=25;src=link



 

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