2014年3月2日日曜日

大地の大きな構造 その2 中央構造線



 大地の大きな構造

②  中央構造線

中央構造線・・日本を横切る大断層・・・断層を境に、まるで違った岩石・地層が分布する・・・宇宙から写真を撮ると,ちゃんと線になって見える断層・・・・・

何となく知っているつもりで,いざ説明をしようかと思うと、上にあげたような言葉が見出しのように 出てくるだけ・・・ここで、本当のところ、何もわかってなかった・・・と気づくお粗末さ。
 とはいえ、説明を試みてみようかと。        なお、図で、特に断りのないものは下仁田自然学校作成

大断層

九州から関東まで、1000kmを超えて続く断層です!・・・位置は左図で。

関東地方では、じつは中央構造線がよくわからず、教科書でこうしてしっかり線が引くかれるようになったのはけっこう最近の話なのです。1995年発行、2002年印刷の高校地学の補助教材の本では「フォッサマグナ以東への延長は明瞭でない」と書かれてありました。2003年発行、2007年印刷のものでは関東までしっかりと線が引かれてありました。
糸魚川ー静岡構造線の東側・フォッサマグナ地域とよばれる地域には厚い地層がたまり、火山噴出物でおおわれ、中央構造線は見えなくなり、関東平野は厚い土砂に埋まっていて、わからない・・・
埼玉市岩槻区では地下3,000mから鹿塩マイロナイト(中央構造線北側にくっついて狭い範囲で分布する岩石)が確認されているので、ここを通っているのは確実。成田周辺のボーリングでは地下深くで三波川結晶片岩が見られた・・・・といったように、さまざまに苦労して,位置を確認しているのです。

こんな中で,下仁田はフォッサマグナの東側で、中央構造線が地表ではっきり見られる場所なのです。

下の写真で、四国、紀伊半島を通る中央構造線の位置を探してみませんか。高校地学教
科書補助教材より写真を引用させていただきます。
上の地図と較べると中央構造線の見当が付きます。断層で破砕された場所が削られ
谷になり、写真にあらわれるというわけ。宇宙から断層の位置が見える!
                                    浜島書店 図説地学 2003年度用より
下仁田自然史館にも、こういった宇宙からの写真が展示してあります。館に立ち寄られたときは、ぜひごらんになってください。


中央構造線は下仁田のどこにある?
   大北野―岩山断層といわれている断層が中央構造線になります

下仁田駅近くでの位置を見てみます。赤い線が中央構造線の通る位置


   
            

中央構造線が、しっかり・はっきり見られるポイント ・・・・川井の断層
  みやま文庫 日曜地学散歩  1971年 より

下仁田町中心部近く、川井の善福寺下の川岸で
中央構造線の断層が
はっきり見られます。

左図の赤い線が断層です。
                        
下仁田駅の西、諏訪神社に行くと、中央構造線をながめられます。ちょっと離れてはいますが、・・・

 諏訪神社で、社殿のきれいな彫り物を見たら、川の対岸も見てみましょう。対岸の川下に緑色片岩、上流側に2000万年ほど前の砂岩の地層・下仁田層がみえます。境目が断層。これが中央構造線です(下の写真)。
川井の断層と呼びならわしています。
対岸の善福寺からは断層部分に行くこともできます。



川井の断層

諏訪神社から見たもの


手前が下仁田層の砂岩、
左奥(川下方向)が緑色片岩(三波川結晶片岩)。
両者の間が断層で、中央構造線。

善福寺方面から、通路を通って行って見ると、、ここはほぼ垂直な断層になっていて、砂岩層と緑色岩が断層で接しています。
この断層では、断層面に沿って,岩石がすりつぶされて粘土状になった数十cmの黒色の部分(断層粘土・断層ガウジ)が見られます。
緑色片岩(三波川結晶片岩)は断層近くで広く破砕されていて(断層破砕帯)、断層の大きさを物語っています。     

下も断層付近の写真です。

                                               写真 関谷友彦さん


断層部分を少し角度を変えて,正面から見た写真です。右が下仁田層の砂岩、左は緑色岩。砂岩は断層面が崖になっています。・・・・ちょっとわかりにくいかな・・・


真ん中や左のほうは何となくぐちゃぐちゃしていますが、これは断層の影響で緑色岩が砕けているため。地質調査をする人はこんなようすを,「もめている」といいます。
右にそんな緑色岩のようすの写真を載せます。

なお、断層の諏訪神社側でもかつては断層が見られましたが、行きにくい場所で、さらに現在は護岸工事でほとんどがおおわれています。河床には断層粘土がみられますが、これも行きにくく、場所的には見学には適しません。  





下図で、もう少し広い範囲でも見てみます。「大北野岩山断層」が中央構造線です。「本宿陥没の壁」より西では火山噴出物に覆われてしまいます。


<中央構造線の通っている場所>

大北野集落手前には断層破砕帯の斜面がありますが、石垣で覆われています。
ここでは川井山石英閃緑岩が分布し、そのさきに中央構造線の断層がありますが、よくみえません。中央構造線を超えると、川井の断層で見られるのと同じに、下仁田層の砂岩がみられます。というわけで、断層を直接みるのは難しいです。                     

岩山付近
  鏑川の河原へ降りると、下流方向(北方向、ここでは川が北方向に向いている)へ向かって、
   青岩から続く緑色片岩(三波川結晶片岩)  赤褐色の礫岩(神農原礫岩)と、石が変化  します。境目が中央構造線。


かつてはここでも断層面が見えたそうですが、川の流れの変化で埋まってしまいました。ですから、今、断層面はみえません。流れの作用で,またいつか、
断層面が河床にあらわれるかもしれませんね。

 右図が岩山付近の地図です。岩山と書いて
 ある付近から,河原におりて、観察できます。


    さらに東に行くと・・・

   中央構造線は馬山付近で北にずれています。そのあと、さらに東に続きます(下図)。
    
赤い線が中央構造線が通ると考えられるところ


上の図の矢印の場所では、中央構造線の北側と南側の岩石が、すぐ近くで見られます。
  ただし、残念ながら、川井の断層のように、接してはいません。 
 
  下に 地質のようすの図を加えます。青い部分は三波川結晶片岩の分布する地域                                     黄色はナップ・クリッペの場所




右図で見るように、中央構造線を境に、大まかにいえば
      南側には波川結晶片岩        (図の青色)がみられ、
      北側には第三紀層の富岡層群
    の砂岩や泥岩が分布します。

ただし、下仁田付近はとても複雑で、もっとさまざまな地層・岩石が分布しているのです。
  
 中央構造線の南側には、三波川結晶片岩(青岩の石)だけでなく、クリッペを作る跡倉層の砂岩や泥岩、石英閃緑岩、ホルンフェルスが見られます。
一方、北側には、平滑花こう岩、ちょっと変わった礫岩の神農原礫岩、下仁田層の砂岩、蛇井層の泥岩などといった、さまざまな地層・岩石が見られます。
   専門家は「領家帯の岩石が見えている」といいます。

幾つかの場所の様子を紹介します。
 
大塩胡
湖岸の岩石に黒ずんだ部分がみられますが、これは、たぶん断層部分にあたります。
大塩湖は農業用に掘られた貯水池で、その工事の折、湖底になる部分が黒く見えていたそうです。断層部分だったのではないでしょうか。
貯水池の周囲ほとんどは粗粒の砂で、第三紀層の富岡層群小幡層になります。小幡層は中央構造線の北側に分布する地層です。


長厳寺裏山  観光用に公開されている楽山園の近くです
お寺の裏山に、高さ8m砂岩の崖(富岡層群牛伏層)があります。この崖いっぱいに大きな仏様の顔がきざまれています(磨崖仏)。この崖の下の方をよく見ると、ツルツルの鏡肌になっている部分や、右下がりの筋(条線)がみられます。崖の面が断層面だった!

寺から少し離れた川の底には、三波川結晶片岩が現れています。というわけで、磨崖仏の刻まれた砂岩と、川で見られる結晶片岩の間に、中央構造線が通っていることになります。



牛伏(うしぶせ)砂岩の崖に刻まれた磨崖仏
     (黒い線は木の影です)

この崖は断層面!
     
     下の写真は鏡肌と条線。








ここから左手に、裏山に登る道があります。その道沿いにも、これらの断層面が広く残されています。

右写真は道沿いに残る、断層の面と断層のすり傷・条線。 (木の影が映って見えにくい写真で
すみません。条線は左真ん中付近から右下がりにみえています)



牛伏砂岩は第三紀層の富岡層群のなかで一番古い時代に海に積もった地層で、約1600万年よりもう少し古い地層です。
中央構造線の北側に分布する地層です


寺のすぐ近くの川底には、三波川結晶片岩が露出しています。中央構造線の南側に分布する岩石です。
 橋の下に見えています










 

クリッペの話の時、「クリッペは低角断層の上にのっている」という説明をしました。そこで、水平に近い
彽角度の断層の上に、クリッペの山がのっている断面図を描きました。
では、中央構造線は、,どんな向きの断層?断面図を描いてもらえませんか・・・といわれそう・・・

下仁田の中央構造線・「川井の断層」をみると、垂直方向の断層が見えます。
  だったら、垂直方向(高角度)の断層?・・・・そうは簡単にいえないようです・・・・断層面は北に傾いているのではと推測されているようですが・・・
  それに、断層は1回動いて地面が切れただけでなく、何度も活動するものです。しかも,中央構造線の活動の歴史は長い・・・。低角と高角の断層両方があるということだって考えられる・・・

というわけで、断面図,難しそう・・・・・私にはちょっと理解できていません。
   ここでは断面図は「なし」にします。これからも,多くの研究の進展することを期待しています。


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中央構造線は活断層なの?

西日本地域では明らかに活断層です。
今、原子力発電所の立地について、活断層が大問題になっています。四国の伊方原発は佐田岬半島にありますが、中央構造線は佐田岬半島の沖合をとおっているのです。建設のための調査当時から,このことは指摘されていたはずなのです。

下仁田では、ほとんど動いていないといわれますが・・・さて、どうなのでしょうか。
いや、うごいた跡がある、という人もいます。


中央構造線の起源や歴史・・・・・  

こういった大きな話、長い歴史を持つ、たくさんの方々の多くの研究のなされている話については、まったく私の手に余る内容なのです・・・・         
 よく知らない話なので,困っていますが,とりあえず・・・HP等で見たものを、ちょっとだけのせてみ ます・・。
  詳しい方、今の研究の最前線を知る方に,語っていただきたい,などと希望しているところです。

 中生代白亜紀(恐竜のいた時代です)に動き始めたという、古くからの断層です。
横ずれの卓越した動きで長期にわたってずれ続けたため、数百km(最大2000kmという人もいる)の
ずれになったといわれ、そのため、この断層をはさんで、まったく違った種類の地層が接することにな
ったといいます。
活動が活発だったり不活発だったりと、いろいろな時代に異なる動きをくり返し、そのたびにずれ動く向きや早さが変わったようです。
最初は左横ずれ運動をしていましたが、最近の時代(第四期後期)には右横ずれに動いているといいます。現在でも紀伊半島から九州にかけては明らかに活断層となっています。
断層は九州から関東まで、1000kmを越えて続きます。
  歴史も規模も、半端じゃない!!

この断層、日本列島を形づくるのに大きく関わった動きなのでしょうね。
こんな大地の大変動の跡の一端を,下仁田で身近に見ることができるというわけです。



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大塩湖    話がちょっと長くなりましたが・・・・・

この貯水池は南牧川からトンネルで水を運び、さらにトンネルで藤岡の竹沼へ水を送っています。今は農業用というより上水道水源として使っているそうです。

2008年にここを訪ねた時、水辺の岩に,黒い貝がかたまりになってびっしり付いているのを見ました。海にいるイガイのようなイメージ。スペインの炊き込みご飯・パエリアなどに使うムール貝のような形の貝・・・こんな所にイガイがいるわけないし,何だろう?と思いました。
家に帰って調べてわかったのは、「カワヒバリガイ」という貝だということ。
じつはこの貝、大問題の貝なのです。困りものの外来生物「特定外来生物」に指定されているのです。水路・水道管に入ると増殖で詰まらせてしまい、深刻な被害を引き起こす貝。水道局だったら、この貝が入ったと聞いたら,衝撃が走るのではないでしょうか。
魚類にも被害を与え、生態系を乱す生き物・・・大塩胡では2005年に確認されていたそうで、これは全国でも最も早いほうになります。

大塩胡では、藻類の増殖で困り、さらに「カワヒバリガイ」の発生という大問題がおきているというわけなのです。
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3月  春が来る !

   2月はずっと雪に振り回されていた気分
    この冬は12月から寒い日が続いていました。    春が待ち遠しい 
         天気予報ではまだ雪マークのでる寒さですが・・

     川辺のヤナギはどうなっていますか。   
     絵:小林生子さん


やはらかに 柳あをめる北上の
岸辺目に見ゆ  泣けとごとくに        啄木

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昨年の夏はとりわけ暑かった。夏は暑く,冬は寒く、春と秋が短い・・・・・そんな印象を持ってしまう。気候変動が激しくなったら、たいへんなこと。


我が家から2kmほどの所のトマトの大きなビニールハウス、
1000坪の面積だそうです。ご夫婦2人で手入れをしていたといいますが、雪でつぶれました。72歳のご主人、体の動くかぎりはたらきたかったけれど、あきらめると。淡々とハウスの撤去をはじめていました。今年中いっぱいかかるかな、と。
その近くの,脱サラしてナスの栽培をはじめた若い夫婦のハウスもつぶれていました



食料を作るという基本的・大切な営みをなさっている皆さんが
これからも、張りのある生活をおくれますように。



   

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