2014年1月20日月曜日

地層に見られる構造 平らな面 その3 片理・へきかい


 平らな面 その3 


以前書いたものの補足をさせてもらいます。
前々回,「平らな面その1」で、節理について書きました。そのとき、「ふつうの節理」については、「いいなと思う具体例が思いうかばないので」・・・と、写真はのせずでした。

 先日、寒いけれど穏やかな日、ふっと思いついて長瀞に行ってきました。結晶片岩の片理構造の写真なら、やっぱり長瀞の岩畳の写真がいいな、と。何年ぶりだろうか、10年よりずっと昔・・などと思いながら。
長瀞石畳に見られる節理
長瀞の岩畳に立ってみて、「あれー・・・・・」 足元の割れ目、これみんな、典型的な節理なのでは、と。断層ではないよね、と、ずれがないかどうかと、見てみました。もっと前に見に来ればよかった・・・。以前にも見ていたんでしょうけどね・・
 節理は白い脈でうめられたものや、すき間に草がはえているものもありました。

博物館に行くと解説パンフに、こう書かれてありました。
「地殻が上昇してして水平方向に引っ張る力がはたらいた結果、形成されたものと考えられます。岩畳周辺では垂直に近い節理がほぼ東西・南北方向に格子状に走っています。」

  というわけで、たくさんの割れ目・節理のはいった長瀞の岩畳の写真です。
      岩石は石墨片岩(黒色片岩)。節理はほぼ垂直方向の割れ目です。

石墨片岩の岩畳と節理


結晶片岩については以前に取り上げましたが、もとの石・原岩についてはよくわかりませんでした。
そんなことも,パンフレットに載っていましたので、紹介しておきます。ご参考に。


④ 片理


岩畳の写真では、割れ目の節理も見えますが、なんといっても目立つのは
     「岩の上の広く平らな面」。
親鼻の紅レン片岩、 右下手前は、橋脚跡のレンガ
 

ちょっと見た目には、地層の層理の縞模様の時と同じように感じられます。でも、この「平ら」は でき方がまったく違います

岩石が高い圧力を受て、平らな面ができる・・・わかったようで、わからない説明・・
 もう少し説明すると、圧力を受けているうちに新しい鉱物がうまれるのですが、この鉱物が圧力に対して垂直方向に並び、敷きつめたようになるため、平らな面が現れる、ということ。
 というわけで、石はこの面で平らに割れやすくもなります。
 結晶片岩に見られるこの面を、特に片理面とよびます。

緑色がかった緑色片岩もあります

  長瀞周辺の川原では、結晶片岩はどこも見事に平らな面を見せています

地下20km~30kmに押し込まれ、6000~7000気圧という高い圧力を受けて,変身してできた岩石です。岩石は溶けることなく、固体のままで変化したといいます。
    
  下仁田の青岩にも片理面がありますがこんなにきっちりと平らではありません。長瀞より、受けた圧力が小さかったので。
細かな片理の重なり









⑤ 岩石のへき開
へき開というと、ふつう鉱物の面が平らに割れることをイメージしますが
方解石など)、時には岩石についても使うことがあります。

  泥が固まってできた岩石で、平らに割れやすくなったものがあります。
 圧力を受けたことが原因で、結晶片岩ほどではないけれど、平らに割れる面ができるというわけ。

「どんな石に見られるの?」・・頁岩(けつがん・シェール)、粘板岩(スレート)。
「スレートへき開」と言う言葉もあるなあ・・。

平らに割れる石は、ヨーロッパなどでは屋根を葺くのに使われたりもしてきました。
家の外壁をスレートでおおったりもしています。
アンモナイトがせんべいのごとくに・・
どこから石墨片岩で、
どこまでが粘板岩なのかなどと聞かれる
と、ちょっと困りますが・・・
 (正確には、どんな鉱物ができているかによるのでしょうが)

こんな石、下仁田付近での例は
よくわからないので、ドイツの石で紹介します。
(ドイツのお城の屋根など、スレート葺き
ですスレート利用の本場といえそうです)

右の写真では、アンモナイトがペタンコに
なっています。
下の写真では、二枚貝らしいものがやっぱり
平らになって、岩石は何枚もの層状に
なっています。

ドイツ ホルツマーデンのスレート
 <補足>頁岩では割れる面が層理面(地層の面)と一致する層面へき開だけれど、粘板岩(スレート)では層理面とへき開面は、必ずしも一致していないそうです。

 この石、これだけ平らな面がしっかりしているのですから、「スレート」
  でしょうか・・・化石のはいりぐあいからみると、地層の面と劈開面は一致していると思いますが、どうでしょう・・






横から見たところ 
明治初期、洋風建築を建てるとき、
屋根を葺くためにと、技術者たちは、
適したスレートを、日本中さがした
そうです。そうして見つけたのが
石巻の雄勝石でした。この石は下に
挙げるようなそうそうたる建物の
屋根を飾りました。

、【東京駅・北海道庁舎・山形県庁舎・横浜開港記念館・赤坂プリンスホテル旧館・名古屋高等裁判所・京都府庁舎・京都中京郵便局・大阪中之島公会堂・広島呉海軍庁舎・旧山口県庁舎・旧三井物産門司迎賓館】

今回の大津波で、雄勝も大被害を受け
ました。東京駅改装のためにと準備し
ていた雄勝スレートも流されましたが
手作業で拾い集め、それは今、東京駅の
屋根の一部に使用されています。

なお、粘板岩(スレート)はめずらしい石ではありません。普通にある石です。
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長瀞にある「自然の博物館」に行って、
 「もっと早く来るんだった・・」
峠からみると、いかにも山あいの盆地という風景

岩畳の節理ばかりでなく なんと、最近ブログに取り上げた「白い脈」という展示があったり、 パンフレットに、これも取り上げた「雁行状われめ」が説明されていたりするのです!

板碑:野上下郷石塔婆 国指定史跡
長瀞町には高さ5.37m、大きさ日本一を誇るという板碑もありました。緑泥石片岩を利用。平らに割れますから,碑をつくるのに便利。
鏑川沿いにも,もっと小さいですが、こうした板碑がたくさんみられます。
 
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ところで、自然関係の博物館って行ったことありますか?

「グルメを味わおう」「花の○○」、あるいは著名な人の「美術展」などのように、人がワッと集まるような感じは普通はなし・・・子供が大好きな恐竜展なら人が集まるかな・・・・でも、やっぱり普通の人の感覚では、地味な場所なのでは。
少し年配の方なら「博物館行き」とか「カビの生えた博物館の・・」とかいった、あまり芳しくないイメージを持っていらっしゃるかもしれません。もう役に立たなくなった過去のものを放り込んでおく場所・・・一応歴史的意味はあるかもしれないから、とっておくけど・・・・と。
 数十年も前になりますが、「あんな所で収集品のお守りの仕事なんかしていてもしょうがない」などと、堂々と言っていた人もいました。たしか、長瀞の博物館を頭に思い浮かべながら。

 せっかくなのでちょっと長瀞の博物館の紹介を。
秩父には大正10年(1921年)にすでに「鉱物標本陳列所」があったそうです。昭和24年(1949年)、秩父鉄道株式会社により「秩父自然科学博物館」が設立されました。さすが、鉱山の歴史も,地質研究の歴史も,古くからある場所です。それを引き継いで埼玉県立の博物館になったのが昭和56年(1981年)。まだこういった自然史博物館はめずらしかった頃でした。

 博物館というのは今でも地味にみられますが、昔のような「かびくさい」と言ったイメージとはちょっと違ってきているのではないでしょうか。
展示技術も進歩していますが、なにより、行事その他をとおして、参加と体験を提供してきているし、直接と自然とふれあう活動は大切なことです。

長瀞駅周辺の食堂のおばさん、「花見ですかあ」「皆さん、花は好きですねえ、おかげでお客さんが来てくれてね。」。真冬の船の川下りは、お客はすくないだろうなあ。ここは宝登山の登り口でもあり、この山、神社もあるけど、、ろうばいが有名のようです。しばしばテレビ紹介されるのは、ここのろうばいなのかなあ。冬の重要な観光資源もあるわけです。「桜は時期が難しくてね、それに時期も短くて。」ここから桜並木が続いているようす。「羊山公園の芝桜もいいですよ」と、地域の宣伝もしっかりしていました。

花で感性を豊かにして、博物館で知性を磨いて・・・「つまんないこと言うな」と言われそう。
でも、多くの人が自然を見る目を確かにし、科学的な目を養えたら・・・さらに、地域を調べたりする人たちがつどって,情報の交換もおこなえる場であったら・・・・
博物館は、本来、そんなことを目指す場、文化をつくっていく場なのだと思います。もちろん、貴重な文化的財産を守る場でもあります。
 たまには各地の博物館に行ってみませんか。
 




 









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